fc2ブログ
2023年09月 / 08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

2019'05.20 (Mon)

ヴィクトリアの伯父さんたち

ヴィクトリア女王の祖父ジョージ3世には9男6女の子女がおりました。これがなかなか問題児が多くて、ジョージ3世の精神錯乱の原因とも言われています。
ジョージ3世は王妃一筋で問題なかったのにね。

そして、父方の伯父は3名います。

ジョージ4世
長男でたぶん一番の問題児です。
それでも、ジョージ3世が精神錯乱時には摂政皇太子をやったり、キルトを着用してスコットランドを慰撫したり、リージェント通りを建設したりと、完全な無能ではなかったようですが...
派手な女性関係、荒い金遣いで借金まみれ、暴飲暴食で肥満体となると素晴らしいまでの放蕩息子でした。
借金を清算してもらうために、キャロライン・オブ・ブランズウィック(この女性の方も問題あり)と結婚したが、一女を儲けて実質上離婚状態となります。
(一説には彼女の体臭に耐えきれなかったとか)
一人娘のシャルロットは婿を迎えて、出産までこぎ着けるのですが、死産後死亡してしまいます。彼女が生存していたら、ヴィクトリアの即位はなかったです。

次男はヨーク公フレデリック
子女無しで死去しました。


ウィリアム4世
海軍将校で、Sailor Kingと呼ばれてました。
兄二人とは異なり女性関係は地味で、女優のドロシー・ジョーダンと20年以上夫婦同然に暮らし、10人の庶子を儲けました。
しかし、世継ぎが居ない状況となり、ドロシーと別れて、アデレード・オブ・サクス=マイニゲンと結婚すると、子女は生まれず、ヴィクトリアが即位することとなります。
ヴィクトリアの教育には気をくばっており、コンロイ卿と親密過ぎるケント公夫人(ヴィクトリアの母)を牽制したりと、ヴィクトリアの母方の叔父レオポルドと共にヴィクトリアの相談相手でした。
アデレードは娘二人が夭折してしまい、夫の庶子を可愛がって暮らしたらそうです。

ジョージ4世が普通の夫婦だったら、従姉妹3名の死去がなかったら、ヴィクトリアの即位はなかったわけです。
スポンサーサイト



23:05  |  歴史  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2019'05.13 (Mon)

ネタの宝庫


ヴィクトリア女王

在位期間63年となればネタの宝庫でございます。
どのネタからいきましょうか???

1.かなりラッキーな即位
ヴィクトリアはハノーヴァー朝第6代の国王です。
祖父のジョージ3世がかなりの子沢山でして、直系に嫡子がいればヴィクトリアの即位というか、存在さえありえなかった。というか、ヴィクトリアの父ケント公は王位継承者を得るためだけにヴィクトリアの母と結婚したという経緯があります。
ジョージ3世の次は息子のジョージ4世が即位。この人が妻と不仲で娘シャーロットを儲けた後は事実上離婚状態。一人娘のシャーロット王女は出産で死亡します。
次のウィリアム4世はジョージ3世の弟で、即位と共に嫡子を得るために、10人の庶子を儲けた愛人と分かれ、ザクセン公女アデレイド結婚するも嫡子は生まれず。
やむ無く、ジョージ4世、ウィリアム4世の弟のケント公がライニンゲン侯未亡人ヴィクトリアと結婚して、ヴィクトリアが生まれました。ヴィクトリア女王には異父兄姉がいて、姉は後にイギリスに来ます。

2.イギリス人の血は256分の1
ハノーヴァー朝はドイツのハノーヴァー王国の血筋です。ヴィクトリアの祖母ジョージ3世の王妃シャーロットもメクレンブルク公女、その前の2名の王妃もドイツ系、ヴィクトリアの母のケント公夫人もザクセン出身です。
ヴィクトリアのステュアート朝の血はわずか256分の1です。
ヴィクトリアの前まではハノーヴァー王も兼ねていたのですが、ハノーヴァーはサリカ法が適用されるので、ハノーヴァー王位は叔父のカンバーランド公に継承されました。

3.理想の王配アルバート

以前の記事でもkinkachoはアルバートをほぼ絶賛しました。
ヴィクトリア女王の評伝やら伝記を読んでみると、かなり癇癪持ちで頑固なヴィクトリア女王によく添い遂げたものだと感心してしまいます。
エリザベス1世は独身。
メアリー1世の夫はスペイン国王フィリップ2世。
メアリー2世の夫はウィリアム3世で連合君主。
アン女王の夫はジョージ・オブ・デンマーク。
いずれも子女なしです。
君主国の君主の第一の責務は後嗣を残すこと。その意味で、ヴィクトリアとアルバートの夫婦は4男5女を儲けているので、とても有能。後継ぎのエドワード7世の出来不出来は置いといて...
王配アルバートは教養も見識も高く、ロンドンでの万国博覧会も成功させる手腕もありました。
でも、第一の功績はヴィクトリア女王を御し切ったことでしょう。

現王配フィリップ殿下はかなりのモラハラ、セクハラ野郎なので、kinkachoの評価はかなり低いです。
フィリップ殿下が尊敬したマウントバッテン公は第二次世界大戦のことを根に持って、昭和天皇との宮中晩餐会をブッチしたので、そんなやつ尊敬するなよとちょっとナショナリストしてしまうもので...

他にもネタはあるのですが、ヴィクトリア以前と以後とどちらがいいですか?
21:00  |  歴史  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2019'03.28 (Thu)

バツ3のメアリー・ステュワート


スコットランド女王時代のメアリー

メアリー・ステュワート(1542-1560)
スコットランド王ジェームズ5世とメアリー・オブ・ギースの長女。ジェームズ5世が死亡時、嫡出の兄達が死亡していたため生後数日で女王に即位。
6歳でフランス王太子の婚約者として渡仏する。
当時のフランス宮廷はアンリ2世の治世下で、
王妃カトリーヌ・メディティス(配下にノストラダムス)、
寵妃ディアーヌ・ド・ポアチエ、
王女マルグリット・ド・ヴァロワ(後の王妃マルゴ)、
アンリ・ド・ブルボン(後のアンリ4世)、
アンリ・ド・ギース、
アンリ王子(後のアンリ3世)
王女エリザベート(後のスペイン王妃)
等々、ヴァロワ朝の最後を飾る豪華な面子が揃ってました。
(ここらへんは映画「王妃マルゴ」を見て頂くとよくわかります。)

一人目の夫
フランス王太子フランソワ(後のフランス国王フランソワ2世)
16歳の時に結婚。彼の即位によりメアリーもフランス王妃に即位。
フランスルネサンス華やかなりしフランス宮廷で第一位の女性になったこの頃が最盛期ではないでしょうか。フランソワ2世は2年後に病死します。
(もっとも実権は姑のカトリーヌ・メディティスにありましたが)

二人目の夫
ダーンリー卿ヘンリー・スチュワート
英国貴族、メアリーとはいとこにあたり、共にヘンリー7世のひ孫になります。
いずれも嫡出になるので、この結婚でイングランドの王位継承権を補強することになります。そこで、エリザベス1世はこの結婚に大反対。23歳の時です。
旧教的には疑問があるエリザベスのイングランド王位継承権よりも、メアリーの王位継承権がさらに強化されるからです。
まあこの二人がうまくいけばよかったのですが、妊娠をした頃から夫婦仲は冷め始めます。
もめにもめて、ダーンリーがメアリーのお気に入りのリッチオをメアリーの目の前で殺したり、決裂が決定的になったところで、ダーンリー卿は謎の爆死をします。

三人目の夫
ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン
ダーンリー卿の死後すぐにメアリーはボスウェル伯と結婚、周囲どころかヨーロッパ中の非難を受けます。
この結婚、メアリーが望んだとありますが、当時の法では無理矢理性的関係を持たれた女性は加害者の男と結婚しなければならなかったので、とにかく結婚する必要があったということです。

この結婚で内乱が勃発、最終的にメアリーは退位し、イングランドに亡命します。25歳でした。
ボスウェル伯は国外逃亡し、最終的に北欧で獄死します。

イングランド亡命後、イングランド内のあちこちの城に18年間幽閉され、最終的にはエリザベス1世暗殺計画に関与したということでフォザリンゲイ城にて斬首されます。

メアリーの生涯はシラーやツヴァイクによって戯曲や小説になっているので、割りと有名でしょうか。
しかし、こう振り返ってみると、怒涛の人生の山場はわずか3年ですか...

メアリーに関しましてはkinkachoはちょっとミーハーでして、生誕地のリンリスゴー城、リッチオ暗殺現場ホリールード宮殿、ウエストミンスター寺院にあるお墓を見学に行ったりしていました。
07:33  |  歴史  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2019'03.26 (Tue)

処女王???エリザベス


10代の頃のエリザベス

エリザベス1世(1533-1603)
ヘンリー8世とアン・ブーリンの間に生まれた次女。誕生の直後は王女の地位にあったが、王子を産まないアンを見捨てたヘンリーにより、アンは処刑されます。そして、二人の婚姻は無かったことになったので、アンは庶子扱いに転落します。
ヘンリー8世の最後の妃キャサリン・パーのはからいで、長女のメアリーと次女のエリザベスの王位継承権を認められます。
ヘンリー8世の次の王位継承権は第一位エドワード王子(新教)、二位メアリー(旧教)、三位エリザベス(新教)となってました。
弟のエドワードの時代は新教同士で比較的安全でしたが、姉のメアリーの時代になると旧教派が台頭。
メアリーはアン・ブーリンのために母キャサリンが離婚され、自分も庶子に落とされたので、エリザベスをよく思っていないというか憎んでいます。
メアリーはガチガチの旧教徒であり、新教徒のエリザベスは命の危機にさらされます。改宗か処刑かを迫られ、ロンドン塔に収監されながらも、メアリーの死で辛くも生還して25歳で即位しました。
トレーダーズ・ゲイト(反逆者の門)から収監されて、ロンドン塔から生きて出たのは唯一エリザベスのみと言われています。

処女王、国家と結婚したと言われるエリザベスですが、恋愛の噂は数多くあります。
最初の噂は、ティーンエイジャー時にいきなり不倫話。
しかも、相手は自分によくしてくれた義母キャサリン・パーの再婚相手トマス・シーモアと、スキャンダラス。
そして、即位後はレスター伯ロバート・ダドリーが本命視されます。それなのに、彼をメアリ・ステュワートの夫候補として推薦したり、なかなか複雑。
その他、寵臣は何人かいて、ヴァージンクイーンとしては微妙な感じです。
23:38  |  歴史  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2019'03.20 (Wed)

ふたりの女王

映画を見たので、二人の女王に関して少し…
eiga.png
メアリ・スチュアートとエリザベス1世の関係がここまで拗れた背景を追ってみました。

1.薔薇戦争
イングランドの王位継承戦争である薔薇戦争。
エリザベス女王の祖父がヘンリー7世として即位することで終結しましたが、この即位がかなり藪の中です。
ヘンリー7世の血筋は確かに王家の血筋ではあるのですが、王位継承は否定されている血筋だったのです。しかも、女系。
そんなこんなで、ヘンリー7世はヨーク家から王妃を迎えて、王位継承権の補強を図っています。
その国王夫妻の次男として生まれたのがエリザベス女王の父ヘンリー8世です。

2.ヘンリー8世の宗教改革
上記の理由で王位継承権に今ひとつコンプレックスのあるヘンリー8世は男の世継ぎに拘りました。
王妃キャサリンとの間には王女が一人(後のメアリ1世)生まれたが、男の世継ぎが生まれない。
年上のキャサリンからもう世継ぎは無理と考えたヘンリー8世は離婚して、若い王妃を迎えようと考えます。
カトリックだったヘンリー8世の離婚には法王の特赦が必要だけど、その特赦がもらえない。
離婚ができないと困るヘンリー8世はカトリックを離脱してしまいます。

3.ヘンリー8世の離婚と再婚
そこまでして新王妃アン・ブーリンに生まれたのが娘のエリザベス。
男の世継ぎに拘ったヘンリー8世は息子が生まれるまで離婚と再婚を繰り返して、結局迎えた妃は6人。
父親の離婚再婚で、エリザベスの扱いも王女→庶子→王女と乱高下したもので、エリザベスの王位継承権も不明瞭でした。

そんなこんなで、エリザベス女王の王位継承に関しては、カトリック的にはアウトだったのです。

4.メアリ・スチュアートはイングランド王家の血筋。
生後すぐメアリ・スチュアートはスコットランド女王になります。
父親のジェームズ5世は当然スコットランド国王ですが、イングランド王家の血筋でもあります。ヘンリー8世の甥。
当然、メアリ・スチュアートにもイングランド王家の血筋です。しかも、カトリック的に嫡出で正当。

5.メアリ・スチュアートはフランス王妃だった。
メアリ・スチュアートの母方はフランスの大貴族ギーズ家。
その縁故と政治的駆け引きでメアリ・スチュアートはフランス王太子と婚約します。
幼少期からフランス宮廷で育ち、王太子と結婚した時に岳父フランス国王に言われたことあって、イングランド王家での自分の正当性を主張してしまいます。

メアリ・スチュアートはカトリック的にはイングランド王家の正当な後継者だったわけです。

旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)が対立していたヨーロッパ情勢の真っ只中で、新教徒のエリザベス1世と旧教徒のメアリ・スチュアートが対立するのは必然でした。

そこに、方や寵臣は持つけど独身を貫いている、方や結婚して世継ぎを生んでいる、
等々ことごとく対照的に生きることになった二人の女王なのでした。
21:31  |  歴史  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT   このページの上へ
 | HOME |